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【試し読み企画】郷内心瞳『拝み屋奇譚 災い百物語』第1部「蔓延る災い」

2021.07.17

8月5日発売の郷内心瞳『拝み屋奇譚 災い百物語』
「中身を見てから購入を決めたい」「発売前にいち早く読みたい!」という声にお応えして、試し読みを開始しました。
全10部あるうちの第1部『蔓延る災い』が400円で全文読めます。
12話も収録されていてページ数に換算するとなんと29ページ分と大盤振る舞いです。
この機会にぜひお試しください。
書籍のご購入は全国の書店または弊社オンラインストアまで。

※WEBでの読みやすさを重視しルビは省略してあります。また、書籍版で漢数字の部分はローマ数字で表記しております。ご了承ください。

第1部 蔓延る災い

第1話 頭の話


 数年前、会社員の矢井田さんが、仕事で山中にあるダムの視察に出かけた時のことである。
 夕方近く、業務を終えて山道を下っていると、道端に自動販売機が立っているのが目に入った。
 ちょうど喉も渇いていたし、ひと息つこうと思って車を停めた。
 手頃なジュースを買って取り出し口の前にしゃがみこむと、うしろに停めてある車のほうから、ふいに声が聞こえてきた。
 小さな子供の声で、それも複数。
 きゃっきゃと甲高い声を弾ませながら、何やらしきりに言葉を交わし合っている。
 山道である。周囲は鬱蒼とした森が広がるばかりで、人家のたぐいは1軒もない。
 不審に思い、しゃがみこんだまま背後を振り返ると、声はどうやら、自分が停めた車の下から聞こえてくるようだった。
 姿勢をさらに低くして車の下を覗いてみる。だが子供の姿など、ひとりたりとて見当たらない。ただその一方、声だけは確実に車の下から聞こえてくる。
 落としたプリンがどうのとか、潰れたトマトがああだとか、両手で揉んだ挽き肉がこうだとか、わけの分からないことを楽しそうに笑いながら語り合っている。
 声が聞こえてくるのだからいないはずがないだろうと思い、今度は腹這い気味の姿勢になって車の下に頭を突っこんで見た。
 とたんに車が勝手に動きだし、地面の砂利を噛み締めていた後輪が、乾いた音を軋ませながら頭のすぐ真横まで迫ってきた。
 ぎょっとなってすかさず頭を引っこめると、車はゆるゆるとした速度で五十センチほど前進し、再びぴたりと止まった。同時に、気づけば子供たちの声もすっかり聞こえなくなっている。
 運転席に戻って確認してみたのだが、シフトレバーはパーキングに入ったままになっていたし、サイドブレーキもきちんと引かれたままになっていた。勝手に車が動きだすはずはない。
 みるみる気味が悪くなり、そのまま逃げるようにして車をだしたのだけれど、山道を下る道中、先ほど声が交わし合っていた言葉がふいに脳裏へ蘇り、今度は背筋がぞっと冷たくなった。
 落としたプリンだの、潰れたトマトだの、両手で揉んだ挽き肉だの。
 あれは、タイヤに轢かれた自分の頭がどのようになるのかについて、話していたのではないか。
 そんなふうに思いが及ぶとアクセルペダルを踏みつける足の力が勝手に強まり、矢井田さんは生きた心地もしないまま、猛スピードで山道を駆けおりていった。

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