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【試し読み】『タイぐるり怪談紀行』

2022.09.24

バンナー星人著『タイぐるり怪談紀行』の発売に先駆け、
本書の一部を無料で公開します!

はじめに

 タイのことが好きで、この本に興味を持ってくださった方ならご存知かもしれませんが、タイにはタイ国政府観光庁がおすすめする「アンシーンタイランド」と名付けられた場所が存在します。ダム湖に沈む寺院、天国を思わせるような蓮池、海に現れる砂の道、など見応えのあるスポットばかりですが、それらは容易にはたどり着けない地方の僻地に点在しています。そのこともあって「アンシーンタイランド(知られざるタイ)」と名付けられているのでしょう。

 これらの観光地を仮に「表のアンシーンタイランド」とすると、タイにはもう一つ「裏アンシーンタイランド」とでも呼ぶべきものが存在します。表のアンシーンタイランドが現実にこの目で確かめることができるものや場所である一方、「裏」のほうはその姿をはっきりと捉えることができないものばかり。しかし、それらは目には見えずとも、長きにわたってタイの人々の生活の中で息づいてきたものたちなのです。本書では、タイ社会では馴染みの深い、妖怪、幽霊、呪術、といった目には見えないものに光をあて、これまで日本人の目には触れることが少なかったもう一つの「アンシーンタイランド」の世界にみなさまをお連れしようと思っています。

 本書は『タイぐるり怪談紀行』というタイトルそのままに、タイの首都バンコクを起点として、怪談とともにタイをぐるりと一周できるようなつくりとなっています。日本の1.6倍の国土をもつタイは、各地方によって気候や風土も大きく異なっています。読みながら各地の怪談に触れられるだけではなく、その土地独特の雰囲気を感じていただけるような要素も盛り込んでいます。近年のコロナ禍において、タイに行きたくてうずうずしていた人も多いかと思いますが、そんなみなさまにも是非、この本でもう一つのタイランドを旅していただきたい次第です。

 あ、そろそろみなさまを乗せた飛行機が、バンコクスワンナプーム国際空港へ到着します。
 では、「裏アンシーンタイランド」特別ツアーを存分にお楽しみください。


第2章 中央部・西部 カンチャナブリー 日本人を狙い撃つ軍人霊

 バンコクから車で三時間の場所にあるカンチャナブリーは、日本人にも大人気の観光地だ。象に乗ってのトレッキングなど、日本ではできない自然との触れ合いも大きな魅力である。しかし、日本人がここを訪れる理由はそれだけではない。この場所には日本人が刻みつけた負の遺産の数々が存在するのだ。

 カンチャナブリー随一の観光スポット「クウェー川鉄橋」をご存知だろうか。この橋は、第二次世界大戦中に旧日本軍が捕虜のイギリス軍兵士や現地の人々を強制労働させたことによってできたものだ。建設時の過酷さは、名作映画『戦場にかける橋』に詳しい。この橋の近くには、作業中に命を落とした連合軍捕虜が眠る「連合軍共同墓地」や「JEATH戦争博物館」などもあり、後者では旧日本軍の捕虜に対する残虐な行為を学ぶことができる。筆者もそこを訪れたことがあるが、日本人であることを申し訳なく感じてしまう気分にさせられたことを覚えている。

 カンチャナブリーはバンコクからなら日帰りでも可能だが、時間に余裕があるならやはり泊まりがおすすめだ。安宿からクウェー川沿いの高級リゾートまで旅のスタイルに合わせて選ぶことができる。だがここでは、「旅に刺激を求めたい」というあなたのためにとっておきのホテルを紹介することにしよう。

 このホテルとは某「Rホテル」。情報を提供してくださったのは、バンコク在住の日本人Fさんだ。Fさんが初めてそのホテルを訪れたのは今から30年前の学生時代、女性限定のスタディーツアーに参加したときだった。Rホテルは大型ホテルで客室数も多く、団体旅行にもよく利用される。そのときも20部屋以上がFさんが参加したツアー客で埋まっていた。
 夜中、Fさんが寝ていると、別室の友達二人がFさんの部屋を訪ねてきて、こう言った。
「私たちの部屋、ベッドがすごく揺れるの。足も誰かに引っ張られたのよ。怖いからこっちの部屋で一緒に寝かせてくれない?」
 その話を信じたわけではなかったが、2人の怯えた様子を見てFさんはそのまま部屋に泊めてあげることにした。

 翌朝、朝食を食べていると、驚いたことにほかのグループからも怪奇現象の話が漏れ聞こえてきた。Fさんの部屋に来た友達同様「ベッドがガタガタ揺れた」と訴える者が多く、中には「軍人のような男性が部屋に立っていた」という目撃談まであった。あまりの怖さに10人くらいで集まって明かりをつけたまま朝まで過ごした部屋もあったそうだ。だが、Fさんはそんな話を聞いても「誰かが最初に言い出したことで、怖さが伝染しただけだろう」と軽い気持ちで受け流していた。
 次にFさんがRホテルを訪れたのはそれから7、8年後。Fさんは当時カンチャナブリー郊外の施設でボランティアをしていたという。

 ある日、日本から来ていた施設の支援者グループを迎えに出向いた先があのRホテルだった。
「よく眠れましたか?」
 Fさんは挨拶がてら彼らにたずねた。しかし皆声を揃えてこう言った。
「じつは寝不足で……」
 宴会で盛り上がったのかと思ったが、違うという。

「古いホテルだからか、ベッドが揺れて眠れなかった」
「足を引っ張られる感じがして怖かった」
 などと口々にFさんに訴えてきたのだ。
 その話を聞いて、Fさんの脳裏に学生時代に体験したあの出来事が鮮明に蘇ってきた。
「もしかするとこのホテル、本当に出るのだろうか?」
 そう思ったFさんは、フロントに探りを入れてみることにした。
「お客様たちが、ベッドが揺れて眠れなかったと言っているんですけど」
 するとホテルのスタッフは、こともなげにこう答えた。
「それはベッドのせいではありませんね。日本人が泊まると、よくそういうことが起きるのです」
「え? 日本人にだけ起こるってことですか?」
 驚くFさんに、スタッフはきっぱりと言い切った。
「はい。なぜか日本人のときばかりです」
 Fさんはスタッフにさらに問いただした。
「もしかして昔、橋の建設で亡くなった軍人さんの霊とか?」
 その質問にスタッフは微妙な笑顔をつくり
 「さあ、私たちにはなんとも」
 と言葉を濁すばかりだった。

 Fさんはそれから3年間ボランティアを続けており、その間にも何度かRホテルにお客さんを迎えに行くことがあったが、その度に同じようなやりとりが繰り返されたという。

 日本人だけが狙い撃ちにされる怪奇現象。なんとも奇妙な話だが、この街の歴史を振り返ってみると、あり得ることなのかもしれない。


第3章北部 チェンマイ 幽霊リスナーの電話

 日本では近年、コンプライアンスの観点からテレビやラジオの心霊番組は敬遠されがちでもはや過去の遺物となっていると聞く。そんな日本とは対照的に、こちらタイではテレビでもラジオでもネットでも、相変わらず心霊ネタを扱う番組は多い。特に視聴者やリスナーから体験談を語ってもらう参加型の番組が人気で、バンコクのFM局で放送されている人気長寿番組「The Shock」にいたっては、月曜日から金曜日の深夜10時から3時まで毎日生放送というとんでもないことをやってのけている。

 リスナーが心霊体験を語る形態の番組のパイオニア的存在として知られているのが、1990年代にチェンマイのラジオ局で放送されていた「90 Shock」という番組だ。生番組中にリスナーからの電話を受け、DJが心霊体験談を聞き出していくというスタイルから醸し出される臨場感が人気の秘密だったようだ。

 しかし、人気番組だった「90 Shock」はある怪事件をきっかけに打ち切りになってしまった。
 その事件が起こったのは1996年のある晩のこと。この日のリスナーの体験談はどれも退屈なものばかりで、盛り上がりに欠けたまま最後のリスナーを迎える時間になってしまった。最後のリスナーは女性だったのだが、彼女の電話の通信状態が悪いのか、音は途切れ途切れでラジオのチューニングが合わないときのような「サー」といった音も混じっていた。しかも、彼女は名前も告げないまま、およそ心霊体験談とは関係のない内容を語りはじめたのであった。
「わたし……夜に仕事をしていて……仕事が終わるのも遅くて……バイクに乗っ……」

心霊体験ではなく単に仕事の愚痴をこぼしているようにも聞こえたが、一方で途切れ途切れのその奇妙な語り口には、聞くものをゾッとさせる何かが隠されていた。それはまるでホラー映画を見ている感覚だった、と当事その放送を実際に聞いたリスナーたちは回想している。時折すすり泣くような声を交えながら、彼女はこう続けた。

「その夜……ドーイサケット道をバイクで……家に帰るとき……深夜の1時くらい……。道は真っ暗で……そして会ってしまった……そいつに!!」

 心霊現象を語っているわけでもないのになぜか、彼女の声はラジオ越しのリスナーの鳥肌を立たせるに十分なほど不気味なものだったらしく、生放送のラジオブースは緊張感に包まれはじめた。その雰囲気に耐えかねたアシスタントがDJにこう告げた。
「ちょっと様子がおかしいのでもう電話を切りましょう。怖くてこれ以上耐えられません」
 と、そのときである。電話の向こうの女性が突如甲高い声で泣きはじめたのである。その様子は、タチの悪い冗談ではないことがはっきりとわかるほどのものであった。そして彼女は泣き叫びながら、恐ろしい声でこう告げたのだ。
「奴はわたしをつけてきた、つけてきて、うー、そして、そして、奴は、うー……わたしを殺したた!!!!!!!!!」
「電話を切って! 早く切って!」

 アシスタントが半狂乱で叫び、DJが慌てて電話を切ったあとも、スタジオ内にはスタッフたちの泣き声や叫び声が響いていた。その混乱した様子は、CMが流されるまでの間リスナーにも届いていたという。放送後、リスナーたちはいったい何が起こったのかもわからずある種の興奮を覚えながら眠りについたに違いない。
 しかし、本当に驚くべき事件は翌日に起こった。
 放送翌日の新聞やテレビでは、チェンマイからドーイサケットへと続く道の道路脇で女性の死体が見つかったというニュースが伝えられたのだ。警察の調べによると、チェンマイのナイトバザールで働いていたその女性は、仕事が終わったあとバイクで家路についていたのだが、途中ドーイサケット道で強盗にあい、殺されたのだという。遺体の状態からして、殺されてから相当な日数が経過しているとのことであった。
 このニュースが耳に届くやいなや、昨晩の「90 Shock」を聞いていたリスナーがざわつきはじめたのは言うまでもない。なぜなら、「ナイトバザールという夜の仕事」「ドーイサケット道」「バイク」「殺された」など、昨晩の女性が語ったことと翌日のニュースが伝えた内容があまりに酷似していたからである。噂は瞬く間に広がり、「身の上に起きた不幸を伝えて自分の遺体を早く見つけてもらおうと、女性の霊が番組に電話してきたに違いない」と信じられるまでになった。
 このこの話は20年以上経った今でも語り継がれている。タイの情報共有サイト「Pantip」にはこの怪奇現象についてのスレッドが立ち上がっており、そこには当時実際にラジオを聞いていたリスナーからのコメントも寄せられている。

 最後に、リアルタイムで件の番組を聞いていたリスナーから寄せられた情報を紹介することにしよう。

「『奴がわたしを殺した!!』という恐ろしげな女性の言葉は、今でもはっきりと耳に焼きついています。そういえばあとから聞いた話なのですが、そのときの会話の録音テープをスタッフがチェックしたところ、聞こえてくるのはDJの声だけだったとか……。当時みんなに聞こえていたあの女性の声は、なんだったんでしょうか」


著者/バンナー星人(ばんなーせいじん)
2004年よりタイ在住。バンコクの公立学校にてタイの高校生に日本語を教えている。2017年に高野山大学院通信課程密教学修士号取得。仏教とオカルトが織りなすタイのアメイジングな魅力にとりつかれ、現在に至る。

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