【シリーズ】秘匿怪談 第4~9話



連載第1回目(1~3話)はこちらからお読みいただけます。



第4話 すとん、ぱーん!

 

「すごく意外だったんですけど、ああいうのってはっきり視えちゃうものなんですね……」
 会社員の江部さんがしかめ面を浮かべながら、語ってくれた話である。

 彼が仕事で地方のビジネスホテルに泊まった時のこと。
 夜遅く、ベッドの上に座って明日の支度をしていると、背後で「すとん!」と乾いた音がした。
 振り返ると、壁際に設置された小机の引き出しが全開になって、中から髪の長い女が上半身をぬっと突きだしていた。

 江部さんがぎょっとなって悲鳴をあげるなり、女は引き出しの中に身体を引っこめ、視界から姿を消した。続いて「ぱーん!」と大きな音をたて、引き出しが凄まじい勢いで閉め直される。

 あとには恐怖とショックでがちがちに身体の凍りついた、江部さんの姿だけが取り残された。

「映画なんかで見る半透明とかぼやっとしたシルエットじゃなくて、生身の人間そのものでした。本物のお化けって、あんなにはっきり視えるものなんですね……」
 当時の光景を振り返りながらぶるりと肩を震わせ、江部さんは話を結んだ。



第5話 消えぬれば

 史奈子さんが夫の仕事の都合で、それまで暮らしていた町場のアパートから隣町の郊外に建つ古びた借家へ引越した時のこと。
 アパートに暮らしていた頃は、渋々ながらも台所仕事を手伝ってくれていた中学生の一人娘が、借家へ越してきてまもなくから手伝いをしてくれなくなってしまった。
 理由を尋ねると、「台所が気持ち悪いから」だと言う。

 家の北西側に面した台所は昼でも薄暗く、かすかに黴臭い空気も漂っていて、気持ちが悪いと言えば確かにそうかもしれない。
 だが、言い換えればただそれだけのことである。手伝いを嫌がる理由としては説得力に欠ける。史奈子さんは夕飯の支度を始めるたび、「手伝いなさい!」と娘に声を掛け続けた。
 けれども彼女のほうは「気持ち悪い」の一点張りで、決して台所に立とうとしない。
 そのうち史奈子さんも諦めて、娘に声を掛けることもなくなってしまった。

 借家に越してからふた月近くが経った、夕暮れ時のことである。
 いつものごとく、史奈子さんが台所で夕食の支度をしていると、ふとした拍子に料理酒の蓋を手から滑り落としてしまった。蓋は床の上を転がり、台所の中央に置かれたキッチンテーブルの下へと潜りこんでいった。

 テーブルの下には荷解きの際、置き場所を決めかねて手つかずのままになっている台所用品の詰まった段ボール箱が雑然と重なり、ひしめき合っている。
 転がりこんでいった蓋はどうやら、箱の隙間に紛れこんでしまったようだった。
 ため息を漏らしつつ屈みこみ、ざっと目を凝らしてみたのだが、手前のほうには見当たらない。仕方なく今度は四つん這いの姿勢になって箱をどけつつ、奥へと向かって進んでいく。

 うんざりしながらテーブルの下を占拠する3つ目の段ボール箱を横へどかした時だった。
 開けた視界の真ん前に、ざんばら髪を振り乱した女の顔が現れた。
 その顔色はキノコの傘の裏側を思わせる、異様なまでの白さだった。生身の人の血相ではない。女は両目をぎょろりと見開き、感情の汲み取れない鳥のような眼差しを史奈子さんに向けていた。

「ぎゃっ!」と悲鳴をあげ、テーブルの下から猛然と身を引っこめる。
 ぶるぶるとわななく身体を必死に落ち着かせ、台所の隅からしばらく様子を窺ってみたけれど、女がテーブルの下から姿を表すことはついぞなかった。

 後日、最寄りの神社の神主を招いて、台所のお祓いをしてもらった。
 神主曰く、「家が無人になっていた間に、良からぬものが棲み着いてしまったのではないか」とのことだったが、女の正体については結局分からずじまいだった。
 半面、お祓いを受けたのちには、同じ女を見かけることも二度となかったという。
 のみならず、それまで異様に薄暗かった台所も嘘のように明るくなり、娘も進んで台所仕事を手伝うようになったそうである。
 今現在も史奈子さんの一家は、同じ家に暮らし続けている。



第6話 光りし者

兼業農家の加納さんは、こんなものを見たことがあるという。

 ある年の秋口、地元の寄合いに出掛けた、帰り道のことだった。
 自宅へ向かってまっすぐ延びる田んぼ道を歩いていると、田んぼの中にちらりと人影が見えた。

 視線を向けたところ、漆黒に染まった田んぼのはるか遠くにセーラー服を着た少女が突っ立ち、こちらをじっと見つめている。
 加納さんは即座にその場を駆けだし、家へと全速力で逃げ帰った。
 まずいと感じたからである。

 少女は路上から50メートル近くも離れた距離に立っていたにもかかわらず、顔の表情を始め、髪のてかり具合やセーラー服に浮かんだ皺の様子など、全てがつぶさに視認することができた。

 星ひとつ浮かばない夜空の下、その身はまるで、内側から発光しているかのように明るかった。
 一目するなり普通の人ではないと確信できたので、すかさず逃げだしてきたのだという。



第7話 目の屋敷

「ああいうのってのは、こっち側の信じる信じないに関係なく出るものなんでしょうかね……」

 若かりし頃に俳優をしていたという、浅沼さんから聞かせていただいた話である。
 昭和50年代の終わり頃、浅沼さんが舞台公演のため、地方の田舎町へ遠征した時のこと。
 公演中、俳優やスタッフなど、総勢15名近い関係者の宿泊先になったのは、町場から離れた山の裾野にひっそりと建つ、古びた大きな邸宅だった。
 戦後まもない頃までは、長らく地元の資産家一家が暮らしていたらしいのだが、彼らが他所へ住まいを移したのちは興行主が土地屋敷を買い取り、主には遠方からの来客向けに宿泊所として使えるようにしているのだという。
 屋敷には広々とした造りの座敷が5部屋もあったので、大所帯でも寝る場所には困らなかった。2、3人ずつのグループになって寝室を割り当て、寝泊まりすることになる。
 浅沼さんは同期の俳優ふたりと、屋敷の西側に面した上座敷を寝室に決めた。

 初日の舞台が終わった、最初の晩のことである。
 浅沼さんが寝入っていると、ふいに屋敷のどこからか大きな悲鳴が聞こえてきた。
 障子戸を開け、廊下へ飛びだしてみると、トイレの前で若い女優が腰を抜かして泣いていた。
 訊けば、お化けを見たのだという。

 つい先刻のこと。彼女が床を抜けだし、トイレへ立った時だった。
 和式便器に跨って用を足していると、前方の足元に嵌められた細い小窓が半分開いているのが目に入った。閉めようと思い手を伸ばしたところ、窓の向こうの暗闇から大きな目玉がこちらをぎょろりと見つめていたそうである。

 現場に駆けつけた他の関係者たちが「お化けじゃなくて痴漢じゃないのか?」と尋ねたのだが、彼女は即座に「違う」と答えた。
 目玉は常人のそれより一回りほど大きく、異様に丸々としていて、彼女が声を張りあげた直後、窓の向こうであぶくが弾けるように消えてしまったのだという。
 そこまで話を聞かされると、さすがに気味悪がる者が多くなった。
 出たのがトイレというのも、皆の怖気に拍車を掛けることになった。
 その晩からは、独りでトイレに行けなくなる者が続出し、芝居仲間の大半が誰かと連れ立って用を足しにいく羽目になってしまった。
 そうした一方、浅沼さんは騒ぎに動じることなく、独りで用を足し続けた。
 お化けだの幽霊だののたぐいは端から信じる質ではなかったので、何も怖いとは思わなかった。トイレへ行くたび、子供のように怯える仲間たちの様子を嘲り、笑い飛ばしていた。

 けれども舞台が千秋楽を迎えた、屋敷で過ごす最後の晩のことである。
 夜更け過ぎまでささやかな酒宴を楽しんだ浅沼さんはその後、同室の俳優たちと部屋に戻って床に就いたのだが、呑み過ぎてしまったせいか、まもなくすると尿意を覚えて目が覚めた。
 寝ぼけ眼を擦りながら半身を起こし、廊下へ通じる障子戸のほうへ視線を向けると、真っ白な障子紙の一マスに胡桃大の丸い穴が空いているのが目に入った。

 誰がいつのまにこんなことをしたのだろうと思いつつ、立ちあがりかけた瞬間、ぎょっとなる。
 丸く空いた障子紙の向こうから、ぎょろりと開いた謎の目がこちらをまっすぐ見つめていた。
 目は穴の寸法に対して明らかに大きく、常人の一回りほどはありそうだった。
 すぐさま、トイレで目玉を見たという女優の証言を思いだす。
 目はまばたきひとつすることもなく、代わりにどす黒い瞳を左右へ小刻みにひくつかせながら、浅沼さんの動向を窺うかのごとく、ぎょろぎょろと忙しない眼差しで見つめ続けている。
 驚きこそしたものの、怖さはさほど感じなかった。寧ろ、目玉の正体のほうが気になり始める。
 つかのま、布団の上で凍りついた体を装いながら慎重にタイミングを見計らい、駿足の勢いで立ちあがると両手で障子戸を思いっきり開いた。

 暗闇に染まった戸口の向こうには誰の姿も見当たらず、得体の知れない静寂だけが漂っていた。
 のみならず、障子紙のほうへ視線を向けてみると、今しがたまで確かに空いていたはずの穴が、どこにも見当たらなくなっていた。
 ここでようやく背筋に悪寒が走り、浅沼さんは悲鳴をあげてその場に腰を抜かしてしまう。

 それからしばらく経ったのち、知り合いになった劇団関係者から思わぬ話を聞かされた。
 戦後の頃まで件の屋敷に暮らしていた資産家一家というのは、他所へ移っていったのではなく、あの屋敷で心中自殺をしているのだという。服毒自殺とのことだった。

 以来、「お化け屋敷」として近隣住人から気味悪がられていたのを地元の興行主が買い取って、他所から公演に来る舞台関係者を泊まらせているのだという。
 障子の隙穴から覗きこんでいた目玉が、一家の誰のものであったのかは定かでなかったけれど、一家の誰かのものであることは間違いなさそうだと思い、再び背筋に悪寒が走った。
 こうした事象はできれば信じたくなどなかったものの、屋敷で体験した一件以来、浅沼さんは不本意ながらも「お化け」というものの存在を認めざるを得なくなってしまったのだという。



第8話 長丁場

 夕暮れ時、仕事を終えて車で家路をたどっていた時のことだった。
 両側を田畑に挟まれた県道を走っていると、進路のはるか前方に黒塗りのセダンが見えてきた。

 会社員の久美さんが、お盆のさなかにこんな体験をしたそうである。

 久美さんは制限速度ぎりぎりのペースを保って走っていたのだけれど、いくらもしないうちに車は、前方を走るセダンの背後まで近づいてしまった。
 セダンが走る速度は緩やかで、早く家に帰りたい久美さんとしては、じれったくて仕方がない。けれどもあいにくこの県道は、追越し禁止である。大人しくセダンのうしろを追うしかなかった。

 うんざりしながらハンドルを握り、何気なくセダンの後部ガラスへ視線を向ける。
 すると、後部座席のほうからこちらを見つめる、得体の知れない女と目が合った。
 栗色に染まった髪の毛に緩やかなウェーブのかかった、四十絡みとおぼしき女である。
 女は久美さんに向かってにまにまと、どことなく人を馬鹿にしたような薄笑いを浮かべている。後部座席の窓枠に対して微妙に顔が大きいため、夕闇の中でもその表情ははっきりと見て取れた。

 むっとなってすぐに視線を逸らしたが、再び視線を向けても女はこちらを見つめたままだった。相手の真意を図るべく、今度は久美さんのほうも女に向かって視線を凝らす。
 するとまもなくとんでもないことに気づいてしまい、背筋がぞっと凍りつく。

 女は首から下がなかった。
 にまにまと下卑た笑みを浮かべる顔は、後部座席のヘッドレストからわずかに宙へ浮きあがり、ふわふわと上下に揺れている。一瞬、見間違えではないかと思ったのだけれど、どれだけ視線を凝らしても女の顔とヘッドレストの間には、薄闇に染まった車内の空がはっきりと見えていた。
 異常を確信すると、あとは怖くて見たくなかった。しかし、前方を走るセダンは相も変わらず、緩やかな速度で走り続けるため、女の顔は嫌でも久美さんの視界に入ってきた。
 スピードを落として車間距離を空けようとしたのだが、ミラー越しに見える背後には後続車が何台も連なり、久美さんの車は前方のセダンと板挟みになっていた。
 結局、追越し禁止の県道から交差点に達し、自宅へ通じる国道に曲がるまでの間、久美さんは大きな顔の女に笑いかけられたまま、車を走らさざるを得なかった。
 交差点をまっすぐ突っ切っていくセダンをルームミラー越しに見ると、女はまだ久美さんに向かって薄笑いを浮かべ続けていたそうである。



第9話 からからからから

「ああいうのって、何を考えながら出てくるものなんですかね……?」
 大学生の冴香さんが怪訝な色を浮かべながら、こんな話を聞かせてくれた。

 冬場に大学の友人たちと飲み会に出掛けた時のこと。初めは早めに切りあげるつもりだったが、楽しい雰囲気についつい乗せられてしまい、気づけば3次会まで付き合ってしまった。
 すっかり酔っ払った状態で友人たちと別れたのは、深夜を大きく回った時分。終電はとっくに出たあとだったため、繁華街から自宅マンションまで仕方なく徒歩で帰ることになった。

 歩きだしてまもなくは、ふらふらとおぼつかない足取りだったが、1時間近くも歩き続けるとしだいに酔いは醒めてきて、意識もはっきりし始めてきた。
 闇夜に吹き交う凍て風に身を竦めながら、急ぎ足で寝静まった街中を歩き続ける。
 その甲斐あって思っていたよりも早く、視界の先に自宅の黒い輪郭が見えてきた。

 ほっと息を吐きながら、マンションの近くにある自転車置き場の手前に差し掛かった時である。
 ふいに前方から「からからからから」と、乾いた音が聞こえてきた。
 音は自転車置き場のほうから聞こえてくる。
 何気なく視線を向けると、LED灯の薄明かりに照らされた自転車置き場の中に小さな子供がちょこんとしゃがんで、停められている自転車の後輪を両手で頻りに回しているのが見えた。

 赤いセーターを着た、幼稚園児ぐらいの男の子だった。顔には悪戯っぽい笑みが浮かんでいる。
 こんな遅い時間に一体何をやっているんだと思い、さらに両目を凝らしてみる。
 とたんにぞわりと全身がそそち立ち、たちまち視線を逸らしてしまう。
 男の子は全身が色ガラスのように半透明で、身体の向こうの光景がぼんやり透けて見えていた。
 目と目を決して合わせないよう、自転車置き場の前を早足で猛然と突っ切っていくさなかにも、耳には「からからからから」と車輪を回す音が届いてくる。
 音は冴香さんがマンションのエントランスを潜り抜けるまで、絶えることなく聞こえ続けた。

 自転車置き場であんな子供を目にしたのは初めてのことだったし、子供の正体など分からない。同じく、どうして一心不乱に自転車の車輪を回していたのかについても分からないという。

「本当に、何を考えてあんなことをしてたのか……。時々思いだすたび、考えてみるんですけど、どんなにがんばって考えてみてもそれっぽい答えは見つからないんですよね……」
 眉間に深い皺を刻んだ顔で首を大きく捻りながら、冴香さんは大きなため息をついて話を結んだ。