【シリーズ】秘匿怪談 第4回



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第11話 ドアスコープ

 都内で飲食関係の仕事をしている篠子さんは、5年ほど前の一時期、豊島区にある2階建ての古アパートに暮らしていた。真冬のひどく寒い晩のことだったという。
 深夜1時過ぎ、寝床に入って微睡み始めていると、突然ドアのチャイムが鳴った。

 こんな時間に誰だろう……。訝みながら起きあがり、足音を忍ばせながらドアスコープを覗く。
 ドアの外には、蛍光灯が投げ落とす仄かな明かりに照らされた無数の小さな首が浮かんでいた。
 大きさはピンポン玉と同じくらい。男も女もいたし、赤子や老人の顔もあった。
 いずれの首も満面に貼りついたような笑みを拵え、こちらに視線を注いでいる。
 そのまま背後へ退き、布団の中へ潜りこむ。翌週には慌ただしく荷造りを済ませ、都内にある実家へ舞い戻ったそうである。
 初めての独り暮らしを始めて、そろそろ1年近くが経たんとする頃の出来事だったのだけれど、以来二度と独り暮らしをする気になれず、今も実家で家族と一緒に暮らし続けているという。


第12話 喪のポール

 会社員の横山さんは、中学時代にこんな体験をしたことがあるのだという。
 彼が当時暮らしていた、東北の寂れた田舎町での話である。
 ある朝、横山さんがいつものように自転車で通学路を走っていると、道の前方に立つ理容店のバーバーポールが目に留まった。
 この時間、ポールは回っていないはずなのに、この日はくるくると回っていた。
 但し、色は赤青白の三色ではない。白と黒の二色である。
 今まで一度も見たことのない取り合わせだった。なんだか鯨幕が回転しているようだと感じる。
 不審に思いながら近づいていくとポールはふいに動きを止め、色も元の赤青白の三色に戻った。自転車を停め、つかのま様子をうかがってみたが、ポールが再び動きだすことはなかった。
 その日の放課後、理容店の前に差し掛かると、軒先に大きな花輪が並んでいるのが目に入った。店の壁には白黒の鯨幕も掛けられている。
 のちに聞いたところでは同じ日の朝、店の女主人が心臓発作で亡くなったとのことだった。


第13話 ずんどごキャット

「嘘みたいな話だけんど、この目でしっかり見たんだから仕方ねえ。本当に本当の話なんです」 
 宮城の片田舎に暮らす八十代の寺守さんが、躊躇いがちにも語ってくれた話である。

 今から60年ほど前、昭和40年代の終わり頃で、寺守さんが20代だった時分のこと。
 ある晩、寺守さんは、近所に暮らす従兄の家に将棋を指しに出掛けた。
 帰途に就いたのは、時刻がそろそろ深夜を跨ぐ頃。懐中電灯を片手に暗い夜道を歩いていると、ふとどこからか「ずんどごずんどご」と、景気のいい太鼓の音が聞こえてきた。
 地元の祭りはとうに終わった時期だったので、お囃子の練習をしている音ではなかろうと思う。それに時刻も時刻である。こんな遅くに太鼓を叩く者など、いるわけないだろうとも思った。
 だが、夜道を進めば進んでいくほど、音はしだいに近づき、大きく聞こえてくるばかりである。
 まもなく道端に並ぶ田畑の隙間に開いた、小さな空き地のほうに目がいった。
 音は月明かりに薄く照らしだされた、空き地の中から聞こえてくる。
 闇夜に首を伸ばして視線を凝らすと、何やら小さなものが複数、激しく蠢いているのが見えた。

 それは猫だった。
 野良とおぼしき7、8の猫たちが後ろ足で二本立ちになり、陽気な太鼓のリズムに合わせて揚々と身をくねらせながら、一心不乱に踊っている。

「嘘だろ……」と思い、すかさず懐中電灯を向けると、円い薄明かりの中に浮かびあがったのは、紛うかたなき、二本立ちの猫どもだった。頭の上から手拭いらしき物を被っている猫もいた。
 寺守さんが明かりを翳しつけるなり、夢中で踊りまくっていた猫たちは、ぴたりと動きを止め、こちらへ一斉に顔を向けた。大きな目玉は満月のように膨らみ、爛々と光り輝いている。
 次の瞬間、やはり猫たちはまとめて四本立ちに戻ったかと思うと、蜘蛛の子を散らすように周囲の田畑へ向かって駆けだしていった。あっというまに姿が見えなくなってしまう。

 寺守さんは下戸なので、酔って幻像を見たわけではないという。あくまで「本物の猫たち」が「ずんどごずんどご」と、漫画のごとく踊り狂う様を目撃したのだそうである。
 滑稽ながらもそれ以上に気味悪く感じられ、二度と目にしたくないと思った寺守さんはその後、従兄の家に将棋を指しに行く時は、別の道を選んで通うようになったとのことだった。


第14話 映りしは

 勝田さんという、現在40代の男性が、20代の頃に体験した話だという。
 当時、勝田さんは仕事の関係で関西地方のとある街に暮らしていた。
 真夏の深夜、仕事絡みで親しくなった友人たちと国道沿いのファミレスで時間を潰していると、そのうち暇を持て余した友人のひとりが、「肝試しに行かないか?」と言いだした。
 ファミレスから20分ほど車を走らせた街外れに、廃墟になったラブホテルがあるのだという。地元ではそこそこ名前の知れた心霊スポットだったが、自分は一度も中に入ったことがないので、せっかくなので行ってみたいとのことだった。
 勝田さんを含む他の友人たちも、そんな場所に足を踏み入れたことはなかった。どうせ暇だし、「この際だから」ということで、さっそく車で現地へ向かうことになる。

 まもなく到着したラブホテルは、背後に鬱蒼たる雑木林が広がる、小高い丘の上に立っていた。2階建ての横に長い構えをした建物で、窓ガラスは大半が割れていた。外見から判じる限りでは、いかにも出そうな雰囲気である。
 半開きになった玄関ドアから中へ入り、懐中電灯の薄明かりを頼りに内部の探索を始める。
 割れたガラスの惨状から思っていたとおり、中の様子もひどい有り様だった。
 受付ロビーに置かれた調度品の数々はことごとくなぎ倒されて分厚い埃を被り、客室のドアも戸口から取り外されて廊下の床に転がっている物もあれば、殴るか蹴られるかして、大きな穴が空いている物もあった。方々には侵入者が持ちこんだとおぼしき、無数のゴミも散らばっている。
 無残に荒れ果てた廊下を進んでいくと、奥の床に姿見が倒れているのが目に入った。
 何気なしに近づいて、懐中電灯の明かりを鏡面に向ける。
 みんなで鏡の中を覗きこむと、周囲の漆黒を映しこんだ鏡面にずらりと並ぶ顔が見えた。
 一瞬、自分たちの顔だと思ったのだけれど、よく見ると、それらは全て見知らぬ女の顔だった。いずれの顔も歯を剥きだしにした、獣じみた笑みを浮かべている。
 一同、下から突かれたように身体を跳ねあげると、喉が千切れるほどの大きな悲鳴をあげつつ、その場を一目散に逃げだしてきたそうである。


第15話 特攻

 ドラッグストアに勤める喜代さんから、こんな話を聞かせてもらった。
 2年前の冬場、夕暮れ近くのことだという。
 台所用品のコーナーで喜代さんが品出しの作業をしていると、通路の向こうから馴染みの客が歩いてきた。戸川さんという70代の男性で来店するたび、店員たちに明るく挨拶をしてくれる。この日も喜代さんと目が合うなり「精が出るね」と声を弾ませ、うしろを通り過ぎていった。
 喜代さんも「いらっしゃいませ」と言葉を返す、何気なく彼の背中に視線を向ける。
 そこへ通路の向こうから、再び誰かが歩いてくる気配を感じた。
 振り向いた瞬間、我が目を疑い、びくりと肩が跳ねあがる。
 通路を歩いてきたのは、白いキャミソール姿の女だった。どろどろとうねる長くて黒い頭髪が、両肩から胸元にかけて垂れ落ちている。顔色は血の気がすっかり失せて、蝋燭のように仄白い。
 喜代さんが姿を捉えてまもなく、女は冷たい床板を裸足で蹴りつけ、一直線に駆けだしてきた。すかさず身体を縮めて身構える。
 ところが女は喜代さんには一瞥もくれず、傍らを凄まじい勢いで通り過ぎていった。反射的に姿を視線で追うと、女は通路の前方を歩く戸川さんに向かっていく。
 喜代さんが「あっ!」と声をあげると同時に女は床板をぽん! と蹴りつけ、両腕をまっすぐ伸ばして戸川さんの背中に飛びかかっていった。
 とたんに女の姿が戸川さんの背中に呑みこまれ、目の前から跡形もなく消え去る。戸川さんも平然とした様子で通路を進み、ほどなく什器の角を曲がって見えなくなった。
 一体何が起こったのか、理解がまるで追いつかず、喜代さんはその場で震え慄くしかなかった。

 この日に起きた一件以来、戸川さんが店に訪れることはなくなってしまった。
 のちになって同僚から語り聞かされた話によると、どうやら亡くなったらしいとのことだった。死因は分からなかったが、自分が目にした得体の知れないキャミソール姿の女の起こした行為が、何やら関係しているのではないかと、喜代さんは思い続けているという。


第16話 それさえなければ

 雑誌編集のアシスタントをしている梅原さんの話である。
 ある時、彼はたまたま取れた連休に乗じて、地方の温泉宿へ泊まりに出かけた。
 山間の集落の片隅にひっそりと立つ古びた宿で、周囲は森と田畑が見えるばかりの静かな環境。昼過ぎに到着するなり、さっそく目当ての温泉に浸かり、日頃の疲れを存分に癒した。

 その晩、遅くのことである。
 布団の中で気持ちよく寝入っていたのだけれど、しだいに寝苦しさを覚え始めて、目が覚めた。
 それは例えれば、身体じゅうにちりちりと虫眼鏡の光を当てられているような感覚に似ていた。頭が冴えていくにしたがい、もしかしたら「ちりちり」の正体は、視線ではないかと思い始める。

 電気の消えた暗い部屋の中のどこかで、誰かがじっと自分のことを見つめている。
 静かに目を開け、闇に向かって視線を動かすと、部屋の隅に白い人影が立っているのが見えた。
 黒い髪をざんばらにした、着物姿の女だった。
 女は両手に黄色い菊の花束を抱え、こちらを見おろしながら歯を剥きだしにして笑っている。
 たちまち「ぎゃっ!」と悲鳴をあげて飛び起きる。とたんに女の姿は見えなくなった。
 電気をつけて部屋の中を隈なく見回してみたが、やはり女は見当たらない。
 一連の流れを鑑みれば、女は「幽霊」としか考えられなかった。歯の根は恐怖で震え始めたし、心臓もばくばくと息が苦しくなるほど高鳴っている。

 ただ、この期に及んで梅原さんの中では、「今のは単なる幻覚だったのではないか?」という疑念も湧いて、解釈に戸惑った。同じ日の夕方、こんなことがあったからである。

 晩ご飯の前に少し運動をしておこうと思い、宿の裏手に面した田んぼ道を散歩することにした。どこまで歩いていこうかと考えた矢先、半キロほど離れた道の先に古びた朱塗りの鳥居が見えた。小さな雑木林の前に立っている。差し当たり、鳥居を目指して歩き始めた。
 道なりに歩を進めていくにしたがい、鳥居との距離も狭まって、視界に大きく見え始めてくる。「もうすぐ到着するな」と思いながら歩いていた時だった。
 鳥居の横手に延びる細道の向こうから、大きな人影が歩いてくるのが目に入った。
 赤いスカートスーツに身を包んだ、髪の短い女だったのだけれど、背丈が異様なまでに大きい。目算で3メートル近くもある。
 女は細道の上をのしのしと闊歩し、ほどなく鳥居の前へと至った。続いて身体をくの字に屈め、窮屈そうに鳥居をくぐると、巨大な背中がたちまち境内に消えていった。
 唖然となってその場に立ち止まり、しばらく様子を見ていたのだけれど、女が中から出てくる気配はなかった。急ぎ足で鳥居の前へと向かい、恐る恐る様子をうかがってみると、狭い境内に女の姿は見当たらなかった。
 姿はこの目ではっきり見ていたものの、梅原さんは一連の出来事を「幻覚だった」と割りきり、一息つくと宿に向かって引き返した。

 幻覚以外に考えられない。あんな者がここらを闊歩しているわけなどないし、だからといって幽霊やお化けのたぐいなどとも思うことができなかった。
 なぜなら赤いスカートスーツを纏った巨大な女は、和田アキ子にそっくりだったからである。
 いかにアッコの背丈がでかいといっても、あんなに馬鹿でかいはずなどない。
 加えて、こんな辺鄙な田舎道で出くわすような道理もない。
 だから自分は幻覚を見たのである。幻覚以外に考えられない。必死で自分に言い聞かせながら、梅原さんは宿へと急ぎ足で戻ったのであった。