【シリーズ】秘匿怪談 第6回

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第25話 泣きアイス

里木さんが中学生の頃であるという。
冷蔵庫を開けようとしたところ、中から幽かに奇妙な音が聞こえてくることに気づく。
耳を澄ますと、女のすすり泣く声だった。上部の冷凍庫から聞こえてくる。
ありえるはずもないことなのだが、空耳ではなかった。声は確かに聞こえてきた。
押し殺したような小さな声で「うっ……うぅ……」と泣いている。
戸惑いながらも扉を開けて、中を見た。冷凍庫の中に動くものの気配はない。
顔を近寄せ、耳をそばだててみると、声はどうやらアイスクリームの箱の中から聞こえてくる。円筒形のカップをした、ファミリーサイズのアイスである。恐る恐る手に取り、蓋を開けてみる。
カップの中のアイスは半分減って、内側の上部が空洞になっていた。
泣き声はやはり、カップの中から聞こえてくるのだが、声の主は見当たらない。
ただ「うっ……うぅ……」と、声だけが同じ調子で聞こえてくる。
さすがに怖くなってきた。慌てて蓋を閉め直し、元の場所へアイスを戻す。
とたんに声がぴたりと止んだ。カップの中の泣き声はうんともすんとも言わなくなってしまう。
気にはなったが、再び蓋を開けてみる気にはなれず、里木さんは自室へ震えながら戻った。
翌日、麦茶に入れる氷を取るため、冷凍庫を開けると、アイスのカップがなくなっている。
母に尋ねてみたところ、顔をしかめて「捨てた」と言われた。
朝方、冷凍庫を開けると、魚が腐ったようなひどい異臭が鼻を突き刺したのだという。
臭いの元は、件のアイスからだった。蓋を開けた中身は墨のように黒ずみ、わずかな粘り気を帯びていた。元がバニラのアイスクリームだったとは思えない変化だったし、そもそもアイスが悪くなってこんな状態に変じたとも考えづらいものがあった。
臭いは吐き気を催すほど凄まじかったし、いくら考えたところで原因も分からず、気味が悪い。それですっぱり捨てたのだという。
渋面を浮かべる母に昨夜の泣き声にまつわる一件を聞かせると、母はますます顔つきをしかめ、「やめてよ」と訴えた。
斯様に不気味で得体の知れない出来事だったのだが、里木さん宅の冷凍庫で異変が起きたのは、この時一度限りのことだったという。
第26話 最期飯

今から30年ほど前。稲毛さんが小学2年生の時に体験した話である。
当時、稲毛さんは街場の郊外に位置する一軒家に暮らしていた。
家族は稲毛さんを含め、両親と祖父母の5人暮らし。両親は共働きのため、学校から帰宅して稲毛さんを迎えるのは祖父母の役目だった。
季節がそろそろ冬に差し掛かる、薄暗い夕暮れ時のことである。
いつものように稲毛さんが帰宅すると、居間の座卓で食事をしている祖父母の姿があった。
ふたりとも、街場の弁当屋で売っている唐揚げ弁当を食べている。
日頃、晩ご飯は両親が帰ってきてから揃って食べるのが慣習になっているため、こんな時間に祖母が食事しているのは珍しいことだった。それもなぜか、無言で淡々と弁当を頬張っている。
加えて「おかえりなさい」のひと言もない。ふたりは稲毛さんのほうに目を向けようともせず、まるで機械のような物腰でむしゃむしゃと貪っている。
「ただいま」と声をかけても返事はなかった。ますます不審を抱いてしまう。
稲毛さんも小腹が空いていたので、ふたりのそばまで歩み寄り、「俺も食いたい!」と言った。すると祖父母は弁当箱からゆるゆると顔をあげ、こちらへ面を向けてきた。
能面を思わせる、冷たい固い顔つきだった。肌の色は泥のように黒ずんでいる。
思わずぎょっとなり、小さく悲鳴をあげてしまう。
するとふたりはみるみるうちに顔つきを崩し、とびっきり悲しそうな表情を浮かべた。両目は赤黒く濁り、まなじりから涙が滝のようにこぼれだす。
「どうしたの!」と叫んだとたん、目の前から祖父母の姿がぱっと消えた。
同時に座卓の上にあった弁当箱も消えてしまう。
狐に摘ままれたような気持ちでしばらく呆然となってしまったその後、母親から入った電話で祖父母が交通事故に遭ったことを知らされた。
車で街場の弁当屋に行った帰り道、対向車線からはみだしてきた車と正面衝突したのだという。ふたりは帰宅することのないまま、その日のうちに搬送先の病院で息を引き取った。
自宅の居間で黙々と弁当を食べる祖父母の姿は、今でも脳裏に焼きついて離れないそうである。
第27話 びしばしと

数年前の秋口、木倉さんが彼岸に墓参りへ出向いた時のこと。
この年は祖母の七回忌だった。墓参りなど、本当は面倒くさくて嫌だったのだが、法事にすら顔をださなかったので、母から苦言を呈されてしまった。渋々出掛けることにしたのである。
自家の墓前にしゃがみこみ、形ばかりの合掌を済ませて立ちあがる。
欠伸をしながら墓地の中を引き返すさなか、墓前に缶コーヒーが供えられた墓石が目に入った。折しものどが渇いている。折よく周りに人の気配はない。
墓参りに来てやった報酬と思い、拝借していくことにする。
墓の前へと向かい、コーヒーを取るべく膝を折り曲げようとした時だった。
うしろから突然「びし、ばし!」と頭を2回叩かれ、身体が前のめりにぐらついた。
悲鳴をあげてすかさず振り向いたが、背後には無数の墓石が並ぶばかりで誰の姿もない。
けれども後頭部の左右には鈍い痛みの余韻が残って、じんじんと疼いている。
あとは居ても立ってもいられず、転がるような勢いで墓から逃げ帰ってきたのだという。
第28話 そっくりクッキー

とある休日の昼下がり、大学生の冴香さんが、姉とふたりでクッキーを焼くことになった。
自宅の台所で生地をこね、一口サイズに整えたクッキー種をオーブンレンジの中へ入れる。
焼きあがったクッキーをオーブンから取りだして、まもなくのことである。
一枚のクッキーを目にするなり、「え?」と首を傾げることになる。
平たい丸形に整えられたクッキーの表には、人の顔としか思えない穴と凹凸ができていた。
しかも、やたらと様相が生々しい。両目を少し吊りあげた、ひと目で女と分かる顔つきである。顔は口を半開きにし、苦悶の表情を浮かべているように見える。
こんな趣味の悪い形に生地をこねた覚えはない。姉も知らないと言う。
ただ、クッキーに浮き出た女の顔は、職場の先輩に驚くほどよく似ているとのことだった。
それから数日後、姉が勤める会社で首吊り自殺があったと聞かされた。
亡くなったのはクッキーに顔が浮き出た、あの先輩である。前から少し心を病んでいたそうで、勤務中に社内のトイレで首を括っているのを発見されたとのことだった。
第29話 裏付け

5年ほど前の夏場にあった話だという。
智緒乃さんは仲のよい友人たちと、東北地方のとある湖畔に建つレストランに出掛けた。
湖で獲れる魚介類を使った洋食が美味しいと評判の店で、期待に胸を膨らませての訪店だった。
店内は湖に面して大きなガラスが嵌められ、広い湖面の様子を一望することができた。湖側のテーブル席を案内され、さっそくオーダーを始める。
友人たちと談笑しながら、料理が運ばれてくるのを待っていた時のことである。
店内に突然、女性の金切り声が轟いた。
驚いて視線を向けると、声の主は智緒乃さんたちの席から少し離れた窓辺のテーブル席に座る、年の若い女性である。同年代の男性も彼女の対面に座っている。
女性は顔からすっかり色を失い、ぼろぼろと大粒の涙を流して泣き喚いている。男性のほうも彼女の様子をうかがいながら顔色を青くさせている。
何事だろうと思っていると、女性は「お化け! お化け!」と騒ぎ始めた。
すぐに店のスタッフが駆けつけ、彼女に事情を尋ね始める。声が大きかったため、彼女の語る「事情」は智緒乃さんたちの耳にもはっきり届いてきた。
話を要約するとつい今しがた、彼女は湖の上にいたお化けの姿を見たのだという。
店の窓から10メートルほど離れた湖面に小さな女の子が立っていて、彼女の顔を見つめていた。白いブラウスに青いジャンパースカートを穿いた、5、6歳くらいの女の子だったそうである。
無論、水の上に生身の人間が直立できるはずなどない。「嘘だ」と思って目を凝らしたのだが、その瞬間、女の子もこちらに視線を向けてにっと笑った。
背筋に冷たいものが走ると同時に、女の子は湖上から姿をぱっと消してしまったのだという。
彼女は泣きっ面を歪ませながら「本当です! はっきりこの目で見たんです!」と言い張った。同じ席に座る、恋人とおぼしき男性も「一瞬だったが、自分も見た」と証言する。
ふたりの異様極まる訴えに、スタッフは苦い顔を浮かべて宥めすかすのが精一杯のようだった。店内にいた他の客らもふたりの様子に気圧され、ざわざわと落ち着かない雰囲気になってゆく。
智緒乃さんが固唾を呑みつつ彼らの動向をうかがっていると、先刻からスマホをいじっていた友人のひとりが、ふいに「ああ、マジだ」とつぶやいた。
「ほらこれ」と言って、こちらに向けたスマホの液晶画面には、幼い女の子の溺死事故を報じたニュース記事が表示されていた。事故はこの湖で10年近く前に起きている。
記事を見てしまうと、なおも激しく取り乱す男女の言葉が、絵空事とは思えなくなってしまう。楽しいはずの食事も一転、給仕を前にお通夜のようなムードとなる。
ざわざわした心地で急ぎ目に食事を済ませると、ため息をつきながら帰り支度を始めた。 件の女性は智緒乃さんたちが店を出る頃にも、すすり泣きしながら「お化けが、お化けが」と、頻りに繰り返していたそうである。