【シリーズ】秘匿怪談 第7回

第30話 吹雪の跡

秋田県出身の有田さんが、高校時代に体験した話だという。
新たな年を迎えてまもない時季のこと。日暮れ時から近隣一帯が、激しい暴風雪に見舞われた。勢いは夜が更けていくにつれていや増し、戸外には横殴りの風が吹き荒ぶ、鋭い叫びが木霊する。地元はそれなりに降雪量の多い土地柄だったが、これほどまでに風が猛るのは珍しいことだった。
夜半過ぎ、有田さんが自室のベッドに潜りこんでしばらく経った頃である。
出し抜けに「ばあーーーん!」と響いたけたたましい轟音に、びくりとなって目が覚めた。
家の壁に何かが当たったような印象である。すかさず布団から上体を起こして聞き耳を立てる。
だが、その後は再びおかしな音が聞こえてくることはなかった。様子をうかがっているうちに風の音も弱まってきたため、知らず知らずに二度目の眠りに落ちてしまった。
翌朝目覚めて居間へ向かうと、玄関口のほうから「ねえ、ちょっと!」と母に声をかけられた。なんだと思って外へ出る。母は雪掻きの済んだ玄関前から、家の横手へ向かって進んでいく。
あとを追っていくと家の角を曲がった側壁の前には、雪掻きシャベルを持った父の姿があった。父は凝然とした眼差しで頭上をまじまじと見つめている。
視線を追って有田さんも見あげるなり、思わずぎょっとなって声があがる。
父が見あげていたのは、家の2階部分の壁に浮き出た巨大な人間の手形だった。
壁には昨日の日暮れ時から吹きつけた白雪が分厚く貼りついていたのだが、手形はその白雪をぎゅっとへこます形で表れていた。
手は5本の指を扇状に開いた恰好で、雪の上に押されている。指先から手のひらの付け根まで、上下の直径は2メートル近くもあった。規格外の大きさである。
壁に浮かんだ手の跡を眺めているうち、昨夜遅くに戸外で響いた轟音のことを思いだした。
もしかしたら手の跡は、あの時に付けられたものかもしれない。音が聞こえた方角も一致した。両親に伝えると「気味が悪い」と言われたが、無下に否定されることもなかった。
得体の知れない手のひらは、昼になって壁に貼りついた雪が溶けていくのとともに形を消した。以来、同じ怪異が起こることは二度となかったそうである。
第31話 熱々のお誘い

こちらは山形県在住の庄田さんが、小学時代の真冬に体験した出来事である。
2年生の冬休み、そろそろ年の瀬も押し迫る頃のことだった。
その日の昼下がり、庄田さんは仲のよい友人たちと近所の広場で雪遊びに興じた。
みんなで雪だるまを作ったり、雪合戦をしたりしていると、いつのまにか広場の隅に見慣れぬ人影があることに気がつく。
真っ赤な頭巾を被ったおばさんで、ばちばちと鋭い音を爆ぜる焚き火の前に腰をおろしている。炎の上には濛々と白い湯気を噴きあげる、大きな鍋が掛けられていた。
「寒いねえ。こっちに来て一緒に当たんな」
おばさんは庄田さんらと目が合うと、快活な笑みを浮かべて手招きをしてきた。
「さあさあ、いいから、呼ばれろ呼ばれろ」
どうしようかと顔を合わせる庄田さんたちに、おばさんはなおも声をかけ続ける。
「そんなに言うなら」ということで、焚き火のそばへと足を揃えて近づいていった。
火の上に掛けられていた鍋の中では、熱々のおでんがぐつぐつと音を鳴らしながら煮えている。思わずごくりとのどを鳴らすと、すかさず「食べるかい?」と勧められた。
「うん!」と答え、おばさんから渡された箸と受け皿を使っておでんを摘み始める。
大根、ちくわ、がんも、はんぺん、ごぼう巻き。
はふはふと舌の上で転がしながら頬張るおでんはどれも絶品で、食べれば食べるほど、寒さに縮みあがっていた身体が芯からぬくぬくと熱くなってくる。
あまりの美味さに箸が止まらず夢中で貪っていると、胃の腑が突然、ぞくりと冷たくなった。続いて身体じゅうに凍りつくような寒さが駆け巡る。
次の瞬間、目の前に置かれた鍋の中を見て背筋がさらに冷たくなった。
鍋にはごろごろとした形の氷塊がびっしりと浮かぶ冷水が、並々と張られていた。
おでんなどひとつも浮かんでいない。庄田さんたちが夢中で食べていたのは、おでんではなく氷の塊だったということになる、鍋の下には火さえも焚かれていなかった。
戸惑いながら視線をさらに巡らせると、鍋のそばにおばさんの姿も見当たらない。
代わりに真っ赤な頭巾を被ったミルク飲み人形が、雪にまみれた白い地面に転がっていた。
庄田さんたちは悲鳴をあげてその場を一斉に逃げだすと、それからしばらく、怖くて空き地に近づくことができなくなってしまったという。
第32話 瓶の中

今から30年ほど前のこと。平田さんが、訪問販売の仕事をしていた時の話である。
真冬のある日、平田さんは閑静な住宅地に立つ家々を巡り歩いていた。初めて歩く土地だった。
黙々と営業を続けていくさなか、やがて彼は狭い路地から奥まった場所に立つ、一軒の家へと辿り着く。周囲を竹垣に囲まれた、古びた木造平屋である。
門口を抜け、玄関戸に向かって「ごめんください」と声をかける。中から声は返ってこない。
代わりに傍らから「あぼばっ」と妙な声が聞こえてきた。
視線を向けると玄関脇から少し離れたところに、色褪せた水瓶が置かれているのが目に入った。米俵ほどの大きさもある、茶色く巨大な瓶である。声は瓶の中から聞こえてくる。
「嘘だろう」と思いはしたのだが、声は確かに瓶の中から聞こえてきた。低くくぐもった声音で「あばばば」だの「がばごば」だのと異様な音を発している。
恐る恐る近づいて中を覗きこんだとたん、ぎくりとなって悲鳴があがる。
瓶の中では分厚い氷が張られた水中から、真っ青な顔をした女がこちらを見あげて呻いていた。
女は氷に両手を張り合わせ、白いあぶくを吐きだしながら「あぼばぼ、がばぼ」と呻いている。果たしてどんな事情があってこんなことになったものかは不明だったが、一大事だということはすぐに分かった。ただちに救けださないと命が危ない。
幸い、瓶から少し離れた場所に工具箱が見つかった。平田さんは中からハンマーを掴みだすと、瓶の内側に張られた氷面めがけて一心不乱に振りおろす。
氷は思っていた以上に厚かったが、それでも力任せに叩いていくと蜘蛛の巣状のひびが入って、まもなく粉々に砕け散った。その瞬間、水面にばらけた氷塊に紛れて女の姿が見えなくなる。
「大丈夫ですか!」と声をかけたが返事がなかった。
とっさに瓶の縁に手をかけ、水の中を覗きこむ。
いない。
無数の氷塊が浮かぶ瓶の中は黒々とした水が波打つばかりで、女の姿は跡形もなかった。
「何やってんの?」
そこへ玄関戸が開く音がして、中から顔をだした女に声をかけられた。
見ると瓶の中にいた女と、顔がよく似ていた。女は怪訝なそうな表情でこちらを見つめている。
しどろもどろな言葉を返し、堪らずハンマーを放りだすと、平田さんは逃げるような足取りで門口を飛びだしてきたそうである。
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