【シリーズ】秘匿怪談 第8回



第33話 割れ鏡

 麻生さんが高校時代、深夜に友人たちと肝試しへ出掛けた時のことだという。
 当時、彼が暮らしていた町には、お化け屋敷と呼ばれる古い廃屋があった。
 山の裾野に位置する木造平屋建ての大きな屋敷で、かつては土地の豪農が暮らしていたのだが、家人がひとり残らず狂死したとかで、その後は荒れるに任せるまま、何十年も放置されていた。
 友人たちと連れ立ち、恐る恐る中へ入ると、異様に廊下が長かった。
 懐中電灯を翳しても、奥まで光が届かない。
 差し当たり、どこまで続いているのか確かめるため、奥へ向かって歩きだす。
 埃の積もった床板を踏みしめながら歩を進めていくと、廊下は突き当たりで右に曲がっていた。曲がり角から懐中電灯を翳してみると、暗がりの先が煌々と輝いた。
 見れば、どん詰まりの壁に掛けられている姿見に、光が反射したのだと分かった。
 そのまま進んで近づいていくにつれ、鏡面に大きなひびが入っていることも分かる。
 ひびは鏡面の上部に近いまんなか辺りで、蜘蛛の巣状に広がっていた。
 なんだか拳で殴られでもしてできたひびのように見える。友人たちも同じ意見だった。

 先客たちの悪戯かと思い、鏡の前に立つ。懐中電灯に照らされた鏡の中では、ぐしゃぐしゃに壊れた顔がずらりと並んでこちらを見ていた。
 自分たちの顔かと思ったそれは、見知らぬ男女のものだった。

 いずれも胃の腑が凍りつくようなおぞましい笑みを浮かべて、麻生さんたちを見つめている。
 声を揃えて叫ぶなり、一目散に屋敷を飛びだした。
 帰りの道中、友人たちと確認し合うと、誰もが鏡の中に得体の知れない男女の姿を見たという。初老とおぼしき男女の他、中年ぐらいの女や小さな子供の顔もあったという。
 一瞬の出来事だったが、麻生さんも同じ顔ぶれを目にしていた。それからどうして鏡にひびが入っていたのかという話になり、出た結論が「恐怖で割られた」ということになった。
 過去に屋敷へ忍びこんだ先客も、あの姿見の中に見知らぬ男女の姿を見てしまったのである。怖さのあまり、拳で鏡面を殴りつけたのではなかろうか。
 確たる証拠はなかったものの、然様な話が出ると他に鏡が割られた理由は思い浮かばなかった。
 屋敷は後年取り壊されたが、この夜の一件以来、二度と足を踏み入れることはなかったという。


第34話 横切るもの

 数年前、仲手川さんが転職してまもない頃の話である。
 新しい勤め先は、以前の職場とは真逆の方角にあった。
 通勤は車。道中、民家と商店に挟まれた町場の隘路を抜けて勤め先へ向かう。
 仕事は夕方から始まり、帰りは深夜2時過ぎになる。静まり返った夜の闇に車を走らせるなか、件の隘路に差し掛かる時である。
 
 たびたび前方の路上を横切る、小さな影を見かけるようになった。
 影は左から右へ流れるように駆け抜けていく。シルエットは四つ足で、色は白くかすんだ灰色。
 恰好からして猫かイタチのたぐいかと思ったが、見かけるのは決まって車から10メートルほど離れた距離だったし、見えるのはほんの一瞬のことである。仔細まではよく分からなかった。
 影は3、4日に一度の割合で道の前を横切った。いずれも深夜、帰り道でのことだった。
 
 些末な出来事なのだが、何度も見かけるうちになんとなく正体を知りたくなってくる。
 それである晩、実行に移すことにした。
 仕事帰り、いつものように民家と商店に挟まれた隘路に差し掛かると、前方に目を凝らしつつ、車をゆっくりと走らせた。
 やがて10メートルほど離れた前方の路肩から小さな影が現れる。影が路上を横切り始めた瞬間、ハンドルから身を乗りだして、つぶさに仔細を検めた。
 結果、危うく事故を起こしそうになる。
 路上を横切っていたのは、四つん這いで走る着物姿の女だった。
 背丈は赤ん坊ほどしかないのに、身体つきは大人の女のそれである。
 着物姿の小さな女は、跳ねるような勢いで夜道を突っ切り、あっというまに見えなくなった。
 翌日の夕方、出勤途中に女が出てきたとおぼしき道端に目を向けると、空き家とおぼしき家が立っていた。道を挟んだ向かいに立つ家もどうやら空き家のようだった。
 すっかり怖くなってしまった仲手川さんは、この晩から通勤路を変えてしまったそうである。


第35話 くるくるキャット

 長い人生でたった一度だけ。
 現在、五十路を迎えた横山さんと彼の弟が、唯一その目にしたという怪異にまつわる話である。
 ふたりが小学生の時だった。
 ある秋の黄昏時、自宅の近所に延びる田んぼ道を歩いていると、前方の路上に何かが浮かんでくるくる回っているのが見えた。
 茶色く丸い形をしたそれは、地面から2メートル近い虚空にぴたりと留まり、渦巻模様を描く形でくるくると回っている。
 何かと思って近づいていくと、猫だった。
 茶虎模様の太った猫が、目玉をまん丸くしながら無言で宙を回っている。
 猫は目の前で確実に浮かんで回っているし、横山さん兄弟は揃って同じものを目にしている。
 だから決して夢幻のたぐいではないと思うのだけれど、果たしてこれは何が起きているのか、理解がまるで追いつかなかった。
 為す術もなく、ふたりで呆然となりながら様子を眺めていると、ほどなく猫は路面に向かって、やはり回転しながらゆっくりと降下し始め、くたりとなって着地した。
 路面におりた猫も、つかのま呆然となってその場に固まっていたのだが、やおら立ちあがると、ふらふらした足取りで道の向こうへ去っていった。
 その後、夕餉の席で家人に事の次第を話したところ、天狗の仕業ではないか、などという話が出たそうが、真相は不明のまま今現在に至るという。
 信じ難い話だけれど、確かにあの時、猫は宙に浮かんで回っていた。
 半ば冗談めかして話しているようでその実、目だけは熱っぽく光らせながら、横山さん兄弟は当時の情景を事細やかに語ってくれた。


第36話 ディテール

 舞華さんが生まれて初めて金縛りを体験したのは、今から数年前。
 地方のビジネスホテルに泊まった時のことである。
 ただし、それはかなり奇矯な体験となってしまった。

 夜更け過ぎ、寝苦しさを覚えて目覚めると、体がぴくりとも動かないことに気がついた。
 ここまではよく聞く、金縛り体験の出だしである。
 続いて目蓋を開くと、薄暗い天井を背景に見知らぬ男の顔があった。
 歳は40代くらい。もじゃもじゃ頭にでっぷりと膨らんだ面貌をしている。
 男は仰向けに寝そべる舞華さんの身体に乗っかり、こちらをまじまじと見下ろしていた。
 これも金縛りにまつわる話では、まあまあよく聞く流れである。

 だが、ここから先は思いもよらない展開となってしまう。
 男の顔を見るなり、舞華さんははっとなって驚いたのだが、悲鳴をあげようにも喉まで痺れて声をだすことができなかった。助けを求めることさえできない。
 どうしようと思いながらもできることと言えば、警戒しつつ男の顔を見つめるぐらいしかない。
 じりじりしながら視線を注ぎ始めて、まもなくのことだった。
 男の鼻穴の右側から太い鼻毛が一本、ぞろりとはみ出ているのが目に入る。
 へえ、幽霊も鼻毛が出たりすることがあるんだ……。
 窮地を忘れ、ふとしてそんなことを考えたとたん、思わず「ぷっ!」と噴きだしてしまう。
 とたんに男の顔が恥じ入るように大きく歪み、ぱっと目の前から消えてしまった。
 男が消えると、やおら身体の自由が戻り、舞華さんは恐怖の余韻に震えながらもベッドの中でしばらくげらげら笑い続ける羽目になったそうである。


第37話 青い顔

 都内で会社勤めをしている畑部さんから聞かせていただいた話である。
 彼は小学2年生の頃、夏休みに従兄弟の暮らす山陰地方の田舎町へ泊まりに出掛けた。
 折しも近所の神社で夏祭りが開かれるというので、夜に従兄弟の家族に連れられて行った。
 境内は大勢の人で賑わい、参道の両脇には雑多な屋台がずらりと軒を連ねている。
 目移りしながら屋台を眺めているうちにふと気がつくと、従兄弟の家族とはぐれてしまった。周囲に視線を巡らせてみても、姿は一向に見当たらない。
 続いて境内の方々を歩き回ってみたのだが、やはり見つけることができなかった。
 次第に焦りを帯びつつ探しているうちに、いつしか拝殿の裏手に行き着いてしまう。
 参道に面した屋台で賑わう表側と違って、拝殿の裏手は薄暗く、行き交う人の影すら見えない。さすがにこんなところにいるはずはないだろうと思い、踵を返しかけた時だった。
 拝殿の裏手に広がる雑木林の前に、ぽつりと細い人影が浮かんでいるのが目に入る。
 白い浴衣に身を包んだ女性のように思えたが、顔がおかしなことになっていて判然としない。
 女性とおぼしき人物は、顔面が鮮やかな青一色に染まり、目鼻立ちがよく分からないのである。お面を被っているようではなかった。絵の具か何かを肌に直接塗りたくっているように見える。
 祭りの余興でそんな色に染めているのかと思い、じっと目を凝らしてまもなくのことである。
 彼女の足が地面からわずかに浮かんでいることに気づき、ぞっとなってその場を逃げだした。
 幸いにも、参道のほうへ戻ってほどなくすると、従兄弟の家族と再会することはできたのだが、自分が今しがた見たものを伝えても、信じてもらうことはできなかった。
「神社にお化けなんか出るわけない」などと苦笑され、話はすげなく打ち切りとなってしまう。
 それから20年近い月日が経ったのち。
 畑部さんが都内のマンションで、彼女とふたり暮らしをしていた時のことだった。
 ある晩帰宅すると、彼女が寝室で首を吊って死んでいた。
 少し前から鬱病を患い、仕事を休んで療養していたのだが、とうとう一線を越えてしまった。
 遺体を見るなりぎょっとなったが、瞬間的に驚いたのは彼女の死そのものについてではなく、空中にぶらさがる彼女の姿のほうだった。
 電気コードで首を括った彼女は、なぜか淡白い浴衣に身を包み、顔面を青いポスターカラーでがちがちに塗り固めていた。
 言わずもがな、それは小学時代に畑部さんが神社の裏手で見かけた、あの青い顔をした人物と瓜二つのものだった。
 遺書は見つからず、往生際にどうして彼女がそんな異様な姿で逝くことを選んでしまったのか、理由はついぞ分からずじまいだったそうである。


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