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【試し読み】『魂の声をあげる 現代史としてのラップ・フランセ』

2022.04.09

陣野俊史著『魂の声をあげる 現代史としてのラップ・フランセ』の発売に先駆け、
本書序章の「はじめに」を無料で公開します。

はじめに

 これからこの本を読む、未知の読者へ。
 なんだ、フランスのラップの本か、と思うかもしれない。フランス語がわからない人はたぶん退屈な本なのだろう、と考える可能性もある。だが、おそらく事実はそうではない。大事なのは、リリックや声を含め、音楽としてその曲が魅力的かどうかなのだ。


 どれだけ立派な主張をしていても、音楽としてつまらなければ繰り返し聴くことはできない。つい何回もリピートしてしまうのは、それが「うた」としてカッコよくできているからにほかならない。私は、英語のラップを聴く習慣はじつはあまりないけれど、聴くと、うわっと思う。なんてカッコいいのだ、と感動する。おそらく英語の響きとラップのリズムとが見事に融合しているからだ。一方、日本語ラップやフランスのラップを聴くと、違和感がある。作家の多和田葉子さんなら小石がぱらぱらと降ってくるような 、とでも形容する(だろう)違和感だ。翻訳されたものの違和感、といってもいい。このごつごつした感じって何だろう。そう思って、私たちは日本語の、フランス語のラップに耳を傾ける。このとき、たぶんリリックの意味はどうでもいい。どうでもいいは端的に言い過ぎなのだが、まあ、どうでもいい。違和感こそがクセになる。ごつごつ感を確認するために、私たちは繰り返し、その音楽を聴く。ハマる。意味なんか気にしない。少なくとも最初は。
 どんなことを言っているのか。本書では私が(力の及ぶ範囲で)訳して説明する。
 その曲がどのような社会的背景から出てきた音楽なのか、できるかぎり詳しく述べる。
 そのとき、問題はフランスだけに限定されるものではないことがわかるはずだ。
 きっと。

 本題に入ろう。あらためて、この本はフランスのラップ・ミュージックに関する主題を扱っている。とはいえ、フランスのラップ全史を網羅的に記述した本ではない(そうした本を書こうとしたこともあるが、かなりカタログ的な書き方にならざるを得ず、意図とは違うのでやめた)。おもに2005年秋の「暴動」以後、のラップを論じている。
 そもそも、2005年秋の「暴動」とは何か。それ以前と以後では何が違うのか。「暴動」という呼称は正確なのか。前提となる事柄なので、そのあたりに最初に触れよう。じつは「暴動」とラップの関連について私は一冊、書いたことがある。『フランス暴動 移民法とラップ・フランセ』(河出書房新社、2006)というタイトルの本だったが、出発点となることでもあるし、重複を怖れず書いてみる。

 2005年10月27日、フランスのパリ北東部にあるクリシー・ス・ボアという街で事件は起こる。警察官の職務質問を逃れた3人の北アフリカ系の少年たちが変電所に逃げ込み、うち2人が感電死してしまう。2人の名前は、ジエド・ベンナとブーナ・トラオレ。それぞれ17歳と15歳だった。青年と呼ぶにはあまりに若い2人の死は、大きな波紋を呼ぶ。警察への抗議のため、おおよそ3週間にわたって毎晩数百台の車が燃やされ、夜間外出禁止令が発動された地方共同体もあった。当時首相を務めていたドミニク・ド・ヴィルパンが、ジエドとブーナの遺族に面会し、事件の調査を約束したのは11月1日。だがラップとの関わりでいえば、政治家の意識はもっとずっと違った。ラッパーを、暴動の煽動者として告発しようとする(あえて言うが)邪悪な動きもあった。当時の日本の新聞から引用する。

 10~11月にフランス各地で起きた暴動をめぐり︑若者に人気のラップ音楽が暴動をあおったかどうかという論争が国内で起きている。上下両院の議員有志が「ラップが仏社会への憎しみをかきたてている」としてラップ歌手を告発する動きを見せているが、ドビルパン首相は「ラップに責任はない」と弁護している。
 国民議会(下院)議員153人と上院議員49人がこのほど、ラップ歌手7グループの訴追を求める署名をクレマン法相に提出した。白人や女性、ユダヤ人を敵視や軽視したような歌詞が暴力を助長したと主張。「こんなものを日がな聴き続けていれば、警察官や、自分たちと異なる人々を見かけてかっとなるのも無理はない」と代表格の下院議員はいう。
 フランスでは80年代から郊外に住むアラブ系や黒人の若者を中心にラップが流行、差別へのいらだちや怒りを表現した歌詞はたしかに多く、「火が燃え上がるまでただ待っているつもりかい」などと、暴動を予言したかのような歌もヒットした。
 フランスの人権団体のSOSラシスムは「ラップは移民出身の若者たちが不満を吐き出す大事な文化活動」とラップ排斥を批判。野党からも「暴動の原因を︑差別などの社会問題から若者の表現活動にすり替えている」といった声が相次いだ。
 ドビルパン首相はラジオ番組で「郊外で起きた危機はラップに責任があるか、答えはノンだ。責任のなすりつけ合いはやめよう」と語った。
(朝日新聞、2005年12月1日付朝刊、在パリの沢村亙の記事より)

 17年も前の記事を引用したのは、少しでも当時の空気を伝えるためだが、新しい驚きがある。それは、ラップが一部のリスナーにしか受け入れられない音のジャンルだということが記事の前提になっている点だ。いまこの原稿を書いているのは2021年の夏だが、試しに現在フランスのチャートを参照してみるならば、トップ10曲のうち、ラップは5〜6曲に及ぶ。とりわけ、もう何週間もチャートの1位を突っ走っているのは、Soso Maness and PLKの〈Petrouchka(ペトルーシュカ)〉という曲。ストラヴィンスキーのバレエ曲「ペトルーシュカ」の耳に馴染んだ懐かしいメロディにラップの言葉が弾んでいる。それほど、現在のフランスのポピュラー・ミュージックにとってラップは無視できない存在なのだ。
 さらにさきほどの引用によれば「白人や女性、ユダヤ人を敵視や軽視」したリリックが問題視されているけれど、現在では露骨な差別主義は支持を得ることはない(より巧妙になっているとも言えるが)。それに、問題の発端は、少年2人の死を引き起こした警察権力の側にある。
 2005年の秋の暴動のきっかけになった二人の少年の死をめぐっても、ラッパーたちは曲を作った。2人の名前を刻んだ曲は、「暴動」のあとすぐにリリースされた2007年のアルバム《Morts pour rien(無駄死に)》に収められていて、Kery James(以下、ケリー・ジェイムス)やIAM(アイアム)といった大御所が声を発した。最近の例でいえば、人気のラッパーMOHは、2016年に発表したアルバム《L’art des mots(言葉の芸術)》に〈Bouna et Zyed(ブーナとジエド)〉という曲を入れている。少年たちの名前だ。曲の中でMOHは、2人がサッカー好きだったこと、シテと呼ばれる郊外の集合住宅に住んでいたこと、ラマダンのあの日、サッカーの帰りに警官の尋問を受け、「サッカーで存分に走ったのに、まだ走って逃げなくちゃならないなんて、知らなかった」と歌っている……。
 こうした動きは何を語っているか。彼らの名前を忘れない、ということに尽きる。
 匿名の、「北アフリカ系移民二世の少年たち」ではなく、ブーナとジエドという固有名をもった存在として、私たちは彼らを忘れてはならない、と強く主張しているのだ。

 話を戻す。
 これほどこの「暴動」は大きな社会現象となったが、15年以上経った現在から眺めてみると、2005年の秋の事件ばかりが特異点ではなかったのだなということがわかる。郊外に住んでいる若者たちの怒りは、2005年に突然発火し、3週間燃え続け、鎮火したわけではない。怒りは持続し、ときどき理不尽な事件に遭遇するや、ふたたび表面に出てくるのだ。たとえば2016年、黒人男性が警官に窒息させられて死亡したアダマ・トラオレ事件は、ブーナとジエドの事件との連続性が強く意識される。つまり点ではなく、線として。そして潜在的には無数にそうした線は引かれている。私たちが気づかないだけだ。彼らの名前を脳裡に刻みつけ、ブラック・ライヴズ・マター(以下、BLM)運動との類推を行うことも必要だろう。このあたりは後述したい。


 もう一つ。「暴動」という日本語だが、考えられる訳語として「蜂起」や「抵抗」もあろうが、ここではこれまでもっとも多く用いられてきた語彙として「暴動」を採っている。ただあくまでも汎用性を考えて、ということに過ぎない。どうしても「暴動」という呼称では括りたくない場面があれば、ほかの訳語を用意することとしたい。
 さて、フランスのラップの歴史についてもう少し時系列に沿って書いてみよう。フランスのラップは80年代に始まり、90年代に最初の盛り上がりを迎える。このあたりは序章で触れる。オールド・スクールのラップについて。次いで第二世代の台頭がある。これが20世紀の終わりから21世紀の初めまで。この第二世代については第1章で詳細に論じたい。そうした流れのなかで、くだんの2005年の「暴動」が起こる。暴言が「暴動」の引鉄にもなった、内相(当時)のニコラ・サルコジが大統領に就任するのは2007年のこと。ラッパーたちは強い反発を、リリックとしてサルコジに叩きつける。
 そして2015年1月にシャルリ・エブド襲撃事件、さらには同11月にパリで連続テロ事件が起きる。2016年にはアダマ・トラオレ事件があり、2018年にはアメリカ由来の#MeToo運動や、ガソリン税の値上げを契機に始まったイエロー・ベスト運動が新しい社会運動として注目を浴びる。ラッパーたちは、こうした社会の動きに対してどのように反応してきたのか(あるいは、反応しなかったのか)。ある程度は時系列に沿って記述することにしたい。
 ただ、単なる年代記ではつまらない。基本的には、時計の針の進みに従いながらも、リリックにはそれを束ねる諸テーマを読み込んでみる。移民はどう表象されているのか、女性たちの声はリリックに反映されているのか、フランス社会に走る分断の線は、ラッパーの言葉にどんな影を落としているのか、イスラム教徒であることを誰が歌っているのか、などについて。

 そして最後に。幾つか決め事を。
 この本のなかで扱っている曲については、まったく人の噂にならない音楽を取り上げても仕方がないので、ある程度、彼ら/彼女らの代表曲を俎上にのせる。この本を読んで関心をもったミュージシャンの音源が、この国で容易に聴取できることを第一の条件としたい。ネットやサブスクで彼ら/彼女らにアクセスして、すぐに発見できないようなマニアックな曲は避けよう。話題にしている各曲は、アーティストがYouTubeの公式チャンネルで公開しているものにかぎり、できるだけページ下部の注釈欄にリンクに飛べるQRコードを記載した。読みながら聴く/見ることをおすすめする。

著者/陣野俊史(じんのとしふみ)
1961年長崎県長崎市生まれ。文芸批評家、作家、フランス語圏文学研究者。立教大学大学院特任教授。主な著書に『じゃがたら』『渋さ知らズ』『フランス暴動移民法とラップ・フランセ』『泥海』『ザ・ブルーハーツ ドブネズミの伝説』(いずれも河出書房新社)、『フットボール都市論
スタジアムの文化闘争』(青土社)、『サッカーと人種差別』(文春新書)などがある。

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